シュッとした君ペンとファットでバッドな消し僕ゴム

日々を消し去ってしまう事に、僕はもうなにも感じなくなっていた。

君が玄関のドアを閉める音がアラーム代わりとなって、今日も目が覚めた。

鉛のスーツを着ているかのように、全身が重くどんよりとした憂鬱な目覚めは、

昨日飲み過ぎたせいでもあるのだろう。

そんな僕を気遣ってか、色の薄い長ネギの味噌汁と、昨日の夜に作っていたであろう大根の煮付けがテーブルに置いてあった。

それらをなんの感情も無くたいらげると、再びの眠りで、鉛の体を拭おうとしていた。

遠くの方にモヤモヤした輪郭の光が見える。

その光は、鮮やかな色彩を帯び、やがて眩い光を発しながら、君になった。

僕はその光の暖かさに心地よさを感じた瞬間、怖くなって、再び目が覚める。

なんども見てる夢だった。

毎回、夢の中の心地良さを感じる事にすら、罪悪感を抱いてしまう愚かさにわらけてきた。

少し軽くなった体を起こした時、ベッドと壁の隙間に赤いノートが挟まっているのが目にとまった。

それは、何年か前に君にねだられて買ったノートだった。

中をパラパラとめくると、ジブの姿がそこにあった。

ジブは二人でいずれ飼いたいと思っていた黒猫の名前で、今もまだ名前しか居ない。

細い線のシャーペンで描かれたジブの姿は、両手を上げて喜んでいたり、猫座りで目尻を下げて穏やかに笑っていたり、まんまるなおはぎのようだったり、時には雷のように毛を逆立てて可愛く怒っていたりしていた。

君が描くそんなジブの姿を見て、君の心の瞬間を、以前の僕は愛おしく感じていた。

あの時、二人の生活は眩しい光に満ちていた。未来を想像する時間すら二人にはもったいなかった。

しかし、眩しい瞬間は、光が徐々に薄れゆく瞬間でもあった。

3年前、アパレル会社のチーフパタンナーだった僕は、時代の流れと効率化の名目で導入されたパターンCADシステムに馴染めず、反抗的に会社を去った。

シャーペンと物差しと消しゴムさえあれば、どこにだって居場所があると信じていた。

だが、時代がそれを許してはくれなかった。

全ての会社に非効率だと断られ、それに対して反抗し、理解を示さない会社や社会が悪だと憤慨し、

そして僕は完全に取り残された。

それからの僕は、ただ君の帰りをボーっと待ってるだけの人型の置物だった。

いや、置物だったらまだ良かったのかもしれない。

当たりどころがない苛立ちを君にぶつけ、時には昨日のように金をせびっては、朝方近くまで飲み歩き、

記憶が曖昧なまま家に帰り、寝ている君に無理矢理またがったりもした。

それに何一つ文句を言わず、僕の理不尽を受け入れる君が、逆に僕を苛立たせ、不安にさせた。

懐かしさと負い目の感情の間で、ノートをめくっていくと、最後のページの隅に、弱々しく小さく描かれたジブを見た瞬間、僕は大声を出して泣いた。

ジブが泣いていた。

無彩色な冬の夕空が、まだ乾ききらない涙で滲んで見える。

会社から出てくる君に、軽く手を上げ、殆ど口だけの動きで「おつかれさま」と言うと、君は一瞬驚いた表情を見せたが、そのままいつもの笑顔になった。

「どうしたの?珍しいね」

「近くに用事があってね」

用事なんてない事くらい、君が一番わかっているのに、君は何も言わず、そかそかとうなづいた。

「ねぇ、文房具屋さんにいかない?」

君は微かに震えた笑顔で僕の顔色を伺った。

「いいよ」

どちらともとれる素っ気ない言葉を返すと同時に、君は僕の手を取った。

君と手を繋ぐのはどれくらいぶりだろう?そんな事をふと思いながらも、スタスタと大股で歩く君は、どこかウキウキしてるようだった。

僕の知る文具店は業務的で、殺風景な印象だったが、大型スーパーにある文具店は、色とりどりの文房具が綺麗に並べられ、学校帰りの女の子で騒ついていた。

僕は初めて君に連れられて入った下着屋さんの事を思いだして、居心地悪そうにしていると、僕の眼前に一本のシャーペンが飛び込んできた。

「ねぇこれ憶えてる?」

どこか不安げな表情の君が言った。

「あぁ...」

それは、僕が仕事用に使っていた、シャーペンだった。

なんの飾り気もない、ただ線を引くだけに設計された製図用シャーペン。

そこになんの感情も思い入れもない、ただの道具。

「これ買ったげよっか?」

「要らないよ」

「これで、またジブ描いてよ」

そうだ。最初にジブを描いたのは僕だ。このシャーペンを買って帰った日、試し書きのつもりで、何を描いて欲しいか聞いて、君は黒猫の絵が見てみたいと言った。

その時、いつか猫と一緒に住める部屋に引っ越したいと言って、じゃあ名前だけ先に付けておこうかと考えたのが、その時たまたまテレビで放送していたジブリ映画から取って、ジブにした。

ノートを買って欲しいと言ったのも、僕のジブを真似て君が描きたいと言ったからだった。

僕は、久しぶりに握るシャーペンの感触に妙な照れを感じ、試し書き用の小さなノートにジブを描いた。

「やっぱり君が描くジブは、ほんとに可愛いくて生きてるみたいだね」そう君が言うと、僕のペンを取り、細い線のジブに吹き出しを加えて、ジブはミャーと鳴いた。

どんなモノにも、それを使ってる人の感情と想いが宿るという話しを君から聞いた事がある。

その時、全くしっくり来なかったのは、何事に対しても傲慢だったからだろう。

きっと君に対しても、そうだったかもしれない。

そしてその傲慢さは、君を失う事の恐怖へと形を変え、君をがんじがらめにさせていた。

店から出ると、君と僕は昔みたいに手を繋いで、話しが途切れる事なく今日あった仕事の愚痴や出来事を聞き、僕はそれに応えた。

僕には話す出来事が何もないけど、それでも君は嬉しそうに僕の手を強く握り直した。

家の近所に差し掛かった頃、二人の耳に微かな鳴き声が聞こえてきた。

耳を澄ますと、マンションのゴミ捨て場の横に小さなダンボール箱が置いてあり、鳴き声はそこから漏れているようだった。

中を覗くと、まだ生後間もない小さな小さな黒猫が必死に身体を震わせて鳴いていた。

「きっと君が描いたジブに魂が宿ったんだね」

君はそう言うと、小さなジブをそっと胸に抱き、涙で潤んだ目で、引っ越ししないとね。

君は笑って言った。

おまたせジブ、三人でお家に帰ろうな。

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